ビジネスマンの皆さまへ捧げる読書日記

私が読んだ本のなかで役に立ちそうなものを紹介します

「パラドックス系」を読んで

 著者は、行動心理学者です。

本書では、主にマネージャーは何をすると良いのかが書かれています。

それでは早速始めます

 

マネジメントの心得

親の場合でもマネジメントの場合でも共に、我々が ”何をする” かではなくて、"どうある" かが肝心なのである。

本当に重要なのは、親のあるがままの在り方なのである。例えば、子供に対して心遣いをしたり心配したりするか、それとも冷淡で無関心でいるか、ということである。大抵の子供は、親が望むと望まざるとに関わらず、自分の親と同じような性格を身につけるものなのである。

経営やリーダーシップにおいても、部下として働く人々は、マネージャーである我々のあり方を学び、それに対応する。自然体でのあり方の方がおそらく本来的な道筋だと言えよう。

 

本音は相手にも必ず分かる

人間行動における「相互性の原則」と呼ぶものがある。これは、時間の経過につれて、人間はお互いに同じような態度を共有するという原則である。すなわち、自分が相手を低く評価していれば、しばらくの間は相手の方は自分を高く見ていてくれるだろうが、こうした高い評価がずっと長続きすることはありえない。こちらが相手に抱くのと同じような気持ちを相手が持つに至るからである。

自分が本音で相手を尊敬していないのに、本当の感情を押し隠したままで、相手から尊敬されるような技法を手にいれられるなどを決して信じてはいけない。相手はこちらの本音を発見し、こちらが相手を見るのと同じように、こちらを見るようになる。同僚や部下に対して純粋な尊敬の気持ちを持っていれば、その感情は手練手管や術策を弄しながらも伝わっていくし、このことは相手にとっても同じことなのである。

 

相手をコントロールしようとしてはいけない

マネージャーの中には、部下がそれと気づかない形でこちらが望む行動を生み出すテクニックを発見しようと、いつも探し回っている人がいる。これは非常にリスクが高いアプローチで、従業員からの敬意の念や信頼感をむしろ失いやすい方法であると言える。

なぜか。もし成功すると、相手側が愚かにも騙されたことになるからであり、その結果、相手に対する敬意の念は失わざるをえない。逆に、失敗した時は事態はより悪化する。

マネジメントにおいては、様々なテクニックで武装して状況に臨むのではなく、自由で純粋な反応が流れ出てくるような開かれた気持ちで臨む能力が大事なのである。

 

部下を思うがままに成長させることはできない

多くの人々はマネージャーとして、あたかも粘土をこねてこうあってほしいという形に嵌め込むように、従業員を自分のスキルで持って思うがままに形作れると考えている。しかし物事の本当の動き方は決してそういったものではない。むしろ従業員は大きな粘土の塊や山であって、その上に我々が落下して、様々な、人それぞれの人型を残すようなものであり、しかもそこにできる痕跡は、こちらが残したいと思った痕跡とは違ったものなのだ。

 

新しい技術がもたらす逆効果

新しい技術がもたらす興奮には抗うことはできない。それまでは煩わしく骨が折れる仕事だったものが、夢にも思わなかった斬新なやり方で達成できるからである。しかしここでのジレンマは、新技術に伴う逆効果は一見無関係な部分に、しかも複雑なやり方で現れてくるために、それがどんなものかをあらかじめ知るのが困難な点である。だが、逆効果は必ずや出てくるものなのだ。

 

コミュニケーションの限界を知る

コミュニケーションにはいつも最適なレベルというものがあり、それを越えて、あるいは拡大すると、コミュニケーションは機能不全に陥るということである。コミュニケーションにも一定の限界が存在する。

 

コミュニケーションと力関係

多くのコミュニケーション問題と言われるものは、実のところ権力の均衡化の問題なのである。それゆえ、力関係において大きな不均衡が存在する場に、完全にオープンなコミュニケーションを取り入れようとすることは、決して賢明な策ではない。そのようなことをすれば、意図しないにしても、すでに強力なものの力を一層増大させ、すでにその持つ権力の弱きものの力をさらに低下させるという破壊的な結果を生み出す。

本当に忌憚のないコミュニケーションをでき、それを行うには、両者の勢力の均衡が比較的よくとれていて、お互いに平等に近い時のみだといっても良いだろう。

 

人の話を聞くこととは

人の話を聞く時、マネージャーは相手が言わんとすることだけに焦点を絞り、相手がどう世の中を見ているかに注意を集中させるので、かえって自分の心のあり方が制限されていると感じやすい。通常、人間は円滑なコミュニケーションの流れの中で自由に往き来するには、心理的にも、より広いスペースが必要なのである。聞くことは、このような広がりを持った心理空間を否定してしまう。

我々が他人の話に耳を傾けないのは、聞き方がわからないのではなく、聞くことが自分の心を制限すると感じているからなのである。

聞くことは邪魔にもなる面倒な経験だとも言える。我々は世の中を一定の方法で見たいという強い要求を持っているので、真剣に人の話を聞くと、他人の見方を理解するようになるために、自分の見方の妥当性が問われて変えられてしまいそうだというリスクを冒す事になる。同様に、他人の意見に耳を傾けるということは、自分の自己防御機能を自覚し、他人を逆に変えたいという自分の衝動に対しても意識しなければならないことを意味する。これには、かなり高い水準での自覚や自己認識や、時として自己批判をすることまで要求されるので、こうしたことを長く続けるのは並大抵のことではない。

聞くことは、信頼感や心を開くことや尊敬の念を強く要求するが、こうした特性を最も経験豊か聞き手ですらいつも維持することは難しく、一つの決まった形で表れることは滅多にない類いのものである。それは、スキルというよりは態度とでも称すべきものである。最も優れた聞き方は技術からくるのではなくて、相手の最大の関心事に対して純粋な気持ちで興味を抱くところからくる。聞くというのは、辛抱強く相手の意見に耳を傾けて、それをとことん吐き出させる以上のことなのである。

 

事態が良い時ほど悪いと感じる

人間に関する事柄を改善することは、満足ではなく不満足をもたらし、しかもその不満は、以前に存在してものよりもさらに高い次元のものになることが多いということである。

革命の歴史がその好例である。革命は、最悪の条件下ではなく、必ず諸条件が好転し始めた後に起きる。すなわち改革が行われ、指導層も育ち、一般大衆も将来に対する新しいビジョンを持てるようになってからである。人間は本当に惨めな時期を脱して初めて、事柄が改善されることを期待するがゆえに生まれるある種の不満を表に出すようになるのだ。これは歴史家が「期待向上理論」と呼ぶものである。

心理療法にも同じような作用があると言える。一つの治療に成功すると、患者は満足感ではなくて、別の新しい不満感を抱くようになる。人々は治療してもらったより低い次元の問題が解決されると、満足する代わりに、より高い次元での問題点に関する不満を抱くようになるからである。

なぜこの現象を理解することが重要なのか。それは、変化や成長を持続させようとする動機付けは、より質が高い不満の形成から生まれ、それがより重要な問題の解決へと繋がっていくからである。

 

うまくできる事に熱中するな

うまくできる事にあまりにも夢中になってのめりこむ事によって、本来ならもっとよくやれるはずの別のことに全く目が届かなくなることである。マネージャーにとって特に大切な課題は、組織がすでにうまくこなしていることのみに依存して、「本当にしなければならないこと」が見えなくなると、その組織が自ら墓穴を掘ることになることを、絶えず心することである。

 

他人の失敗からは学習しやすい

他人の失敗、特に専門家の失敗を見聞きすることほど、我々を勇気付け活性化させるものはない。我々が他人の失敗から学習することができるのは、我々人間としては、他人が成功している時よりもむしろ失敗した時の方がその人への親近感が生まれるからであり、他人とより付き合いやすく心が通いやすくなるという能力に係わり合いがあるのである。しかも他人が失敗するプロセスの方が、より学習できるからでもある。

他人が成功した時に、失敗した時と全く同じだけの感性なり思いやりなり誠意を持って対応できる人間は皆無と言っていい。これは、我々が成功している人に対処する時よりも、苦しんでいる人に対する方が、同情や共感の仕方をよりよく分かっているからなのである。

 

永続する変化を生み出すには

人間が自分の中に永続するような変化を生み出しうるのは、一つの規律を持続的に守ることに本腰を入れる時である。

事態を混乱させている原因はいつも人間の側にあるように思えるが、実はそうした困難を引き起こしているのは、個人個人ではなくて、それぞの状況なのである。したがって、人間を正すのではなくて、組織の中に構造的変化を起こすことによって、状況を正そうとする。各個人を変革することを企図するよりも、報告関係を相手に期待する職責を拡大、縮小したり、フレックスタイム制を導入したりする。

状況をアレンジすることによって、人間を良くも悪くも見せることができる。周囲の事情こそ、人間行動に対する強力な決定要因なのである。教会のなかでタバコを吸うやつやいない。

 

従業員の尊敬の念を育てるためには

有能なマネージャーは従業員に対して持つ自らの敬意の念が育つようにと行動する。従業員がマネージャーに好意を持ってくれることよりも、自分が従業員に好意を持つことの方がより重要だということを充分承知しているからである。

我々は一定の事柄を「やむをえずこちらがやってやる」人、あるいは事柄を単に「業務上こちらに対してやってくれている」人よりも、事柄を「我々の方でも親身になってやってあっげられる」人をより好む傾向がある。さらに我々は他の人々の踏み石となって利用されているのではないと感じる時の方が、より多くの好意を抱く。

そもそも働く人々のモラルを引き上げることではなく、マネージャー自身のモラルを高めることが肝心なのである。自分のモラルが高ければ、より創造的で熱意がある労働力を生み出す可能性が高いのである。

 

優れた判断を妨げるもの

■ 権威や他人の意見に頼るように教えられる

■ 表面的なイメージの犠牲になる

履歴とか衣装とか外観などで人間に対する印象を決めてしまうこと学んで、そうした人々が現実に持っているより多くの力や特性があるものだと考えがちである。我々の眼を事実から逸らしてしまうのが固定観念である。

■ 自分たちの信念体系を守るために、都合が良いことだけを選び取って見るという「選別的知覚」活動を行っている

適合しないものを無視し、フィットするものだけを受け入れる。求めているものだけを見つけ出す傾向があるのだ。自分の信念や信仰を裏付ける証拠は、恐ろしいほど簡単に見つかるのだ。

■ 以前は上手くいっていたことに影響される

前にやったことが現在の状況には適用できないのに、いつでも、これまでうまくいったことを繰り返したがる

■ 最初の反応を疑ってかかるように教えられてきた

第一印象に対して自信がないのは、そのやり方で行った判断が誤っていた場合を、繰り返し思い出させられるからである。しかし実際には、人間は初対面の相手と出会った最初の数秒間で、相手についてかなりのことを知り得ているので、こういった第一印象なるもの通常は正しいのである。

■ 不安だったり、リスクを冒すのが恐い時ほど、われわれは直感を信頼しなくなる。こうしたときには、なるべき合理的で、後から自己弁護や正当化をできるような判断をしなければならないという気持ちになる

■ 子供の目でものをみない

■ 他人の判断に頼りすぎることがある
我々は、「グループシンク(集団順応・同調思考)」と呼ぶ、グループとともに進みたいという欲求を示すことがある。知覚が集団行動によって形成されることがある。集団としてのコンセンサス作りに対して圧力を加えられると、実際に事柄を違った見方で見るようになる。

 

直感を取り戻せ

経営者の仕事の大半は、「アンラーニング(知識を捨てる)プロセス」であって、正しい知覚や判断や知恵への障害物を取り除くことにある。

リーダーも、直感や直覚による反応への信頼感を取り戻す必要がある。それをするには、自分を感度が良い道具と見なし、通常は見過ごされるが、本来はもっと注意を払うべき状況に対しても直感的に反応するよう心がけることが肝心である。

むろん的確な意思決定をするために必要な合理的要因からも目をそらすことがあってはならない。直観やひらめきによる反応には注意を払いつつも、こうした反応と矛盾するような、客観的な情報にも注意を怠ってはならない。したがって、どの程度まで直観的反応に価値を置いて判断するかには、いささかジレンマを伴う。

 

リーダーシップを改善し磨かせるのは、教育である。

訓練と教育の違い
訓練は、技能と技法の開発に繋がるものである。新しい技法は、新しい技能の必要性や新しい仕事をくくり直して明確にすることや、さらに新しい職責上の負荷を加えることによって、マネージャーの職務を暗黙のうちに再編成する。すなわち、新しい技法は、マネージャーが自らの責任だと感じるコントロール領域を増大させる。

教育は、訓練と違って人間を技法の方へではなく、情報や知識の方へと導く。それが正しい人間に対して行われれば、その人は正しい理解を身につけ、やがては叡智へと導かれる。この叡智は謙譲の心や慈悲の心や尊敬心に連なり、これらの資質こそ、効果的なリーダーシップの基本を成すものである。

訓練は皆が同じスキルを学ぶので、人間を似たり寄ったりにしたものにさせる。一方、教育は、各個人の体験を、偉大なる思想との遭遇という光に当てて吟味させることをその一部としているので、人々をそれぞれ異なったものにする傾向が強い。したがって、教育の第一の利点は、マネージャーが自立した独自の純粋な存在になれるということである。正しい教育によって、マネージャーはより良き自己理解をでき、自らの対人関係のスタイルや他の人々に対する反応の仕方や、影響力や偏見や盲点や強味や弱味を学び取れるようになる。

 

考えた後に行動する

問題や、自分の能力を超えるような難局に直面した時に必要なのは、最初の手がかりを一瞥したことに基づく素早い行動ではなくて、そこに含まれている全ての問題点を緻密に考察することなのである。

「行うこと」は、考えることの後に来るべきなのである。考えることには余りにも多くのパラドックスやジレンマが伴っているので、それを先にすべきなのである。それは、単に考えるなどという生易しいものではなく、頭の中であれこれぐつぐつ煮込むようにしてもみくちゃにするようなものであると言えよう。

 

パラドックス系―行動心理学による新ビジネス発想法

パラドックス系―行動心理学による新ビジネス発想法